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『宮台教授の就活原論』から就活の歪さを考える

「日本の就職活動はおかしいー」実際の「就活」を通じてこう感じる人は多いだろうし、世間でもよく語られる話題だ。しかし、それらは大抵「新卒一括採用はおかしい」だとか、「みんなスーツを着て〜」「海外では〜」など、表面上の就活システム批判に過ぎないことが多い。一方で、就活をもっと根本的な部分から批判しているのが宮台真司だ。

彼の著作『宮台教授の就活原論』は、就職活動界隈では言わずと知れた自己分析本『絶対内定』のアンチテーゼとなる作品である。日本の就職活動の歪さを浮き彫りにしながら、その歪な社会で生きていくために必要なヒントを提示している。『14歳からの社会学』より踏み込んだ正しい<社会>との関わり方を、「就活」に焦点を当てて紐解いてみよう。

目次

illustration by エノシマナオミ

『宮台教授の就活原論』とは

『宮台教授の就活原論』は、就活ノウハウが書かれた就活本ではない。むしろ、自己分析の重要性を説く就活本の代名詞『絶対内定』を徹底的に批判しており、そのキャッチコピーは「絶対内定ではもう受からない!」だ。

僕はかねてから自己啓発手法的な就活本に違和感を抱いてきました。
(中略)
一口で言えば<癒しを提供しつつ、デタラメな企業社会への適応を促すこと>への違和感。本書は、この違和感を出発点にしています。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

また、『宮台教授の就活原論』は、宮台真司の代表作『14歳からの社会学』と同一の内容を含んでいる。『14歳からの社会学』を「中学生向けに、社会との正しい関わり方を伝えている」作品だとするなら、『宮台教授の就活原論』は社会との関わり方を「大学生に、就活という話題を皮切りにして」伝えている作品だと言えるだろう。

日本の就活はなぜおかしいのか。違和感の正体はなんなのか。どうすればおかしさに飲み込まれずにすむのか。『宮台教授の就活原論』を足がかりに探っていこう。

(※この記事では、4年制大学卒業者を対象とした一般企業への就職活動を「就活」と呼んでいる)

仕事での自己実現

日本には仕事での自己実現幻想を抱いてる若者が多く、この幻想が就職活動を歪にしていると宮台真司は指摘する。仕事での自己実現幻想とは噛み砕いて言うと、仕事に「やりがい」や「生きがい」を求めることだ。

「仕事で自己実現する」という考え方自体に問題があります。仕事で自己実現できる人も稀にいますが、仕事での自己実現は現実には極めて困難だし、自己実現は必ずしも仕事を通じて果たすべきものでもないからです。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版2011年

宮台は「仕事での自己実現」の存在を否定しているわけではない。しかし、仕事で自己実現ができるのはごく限られた人であるため、「仕事での自己実現」を求めても報われる可能性は低い。そういった意味で、多くの人が仕事に自己実現を期待することは危険だと述べる。『14歳からの社会学』に分かりやすくまとめられているので見てみよう。

仕事をする人に「生きがい」をあたえるために、仕事があるんじゃない。社会が必要とするからー仕事をしてもらわないと困る人々がいるからー仕事がある。みんなが仕事に「生きがい」を求め始めれば、多くの人は「生きがい」から見放されてしまう。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

仕事での自己実現は万人ができるものでも、目指すべきものでもないにも関わらず、就活において多くの企業は「あなたのやりたいことはなんですか?」と学生に問う。それに応えるために、学生は「自分のやりたい仕事はなんなんだろう?」「自分が仕事を通じて成し遂げたいことはなんなんだろう?」と考える。この思考過程には「ない」という選択肢はない。仕事での自己実現幻想の誕生だ。

いまだに「仕事での自己実現」についてどんなヴィジョンを持つのかを学生に尋ねる企業があります。そんな企業は学生の方から願い下げにしましょう。どんな形であれ企業に貢献しさえすればいいはず。それが自己実現だろうがなかろうが企業に関係ありません。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

仕事での自己実現を求めるのが危険なら、私たちはどのように自己実現をすれば良いのだろう。

自己実現をしないという選択肢

そもそも、自己実現が必要なのか?という疑問を宮台は投げかける。自己実現はしなければならないものではないし、自己実現のない人生の何がいけないのか、と。

昨日あったように今日があり、今日あったように明日がある、というのが、長い人類社会において、むしろ通常的な生き方なのです。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

人間として普通である「自己実現をしない生き方」ではなく、自己実現を望む場合、「それにより埋め合わせなければならない不安」が存在するのかもしれない。しかしその「不安」を埋めるための自己実現は、追い込まれたから生み出した願望であり、本当にやりたいことではないのではないかと宮台は述べる。

ソクラテスが言うように、我々は本質的に欠けた存在だからこそ前に進もうとするのかもしれません。僕はただ、追いまれた末の自発性を、内発性と取りちがえる愚を避けてほしいのです。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

やりたいことなんて、なくたっていい。その前提に立った上で、あなたがそれでもやりたいと思いやり続けることが、あなたの「自己実現」なのだろう。そう考えれば、仕事での自己実現は当たり前ではないことがわかるはずだ。

ちなみに、宮台真司は「自己実現の必要性はない」という前提の上で、発信し続ける理由を彼が”超越系”だからであるとしている。

十分な絆があろうが、十分なカネがあろうが、それだけでは僕は満たされません。敢えて言えば、幸せであることでは満たされない「超越系」なのです。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

「自分がやりたいことがわからない…」「やりたい仕事がないんです…」これらは多くの就活生が抱く悩みだが、もう悩む必要なんてないことは明白だろう。

就活に蔓延る適職幻想

自己実現幻想と並んで就活生を苦しめる原因の一つに、「適職幻想」があると宮台は述べている。宮台真司は「適職幻想」をこう定義する。

大量の情報に流されるまま「どこかに私にぴったりの仕事があるのかも」と思ってしまうことです。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

現在の就活はオープンだ。誰もが自分の好きな会社の好きな職種に応募することができる。合同説明会に行けばたくさんの企業がいる。つまり、選択肢がとてつもなく多い。そうした選択肢の多さが「自分に合った企業、職種がきっとどこかにある」という思い込みを生む。

そして、そうした思い込みは「自分の就職すべき場所はここじゃないんじゃないか」という漠然とした不満と実際は存在しない「自分にあった仕事を見つける術」を求め始める。ここから宮台真司のいうところの「適職幻想スパイラル」がはじまる。

学生たちがそうした適職幻想を持つから、就職課はその適職幻想にマッチした会社はこれじゃないかあれじゃないかとカウンセリングサービスを提供します。すると学生たちは適職幻想をますます昂じさせます。僕はこれを「適職幻想スパイラル」と呼んでいます。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

この適職幻想が、就活の歪さの真骨頂である「自己分析」を産む。

就活に自己分析は必要ない

就活で一番大切なものは自己分析です」就活をやったことのある人なら誰しもが一度は耳にした文句だろう。ハッキリ言うとこれは嘘だ。「自己分析」が自分自身を見つめ直し、内的思考を深めることであるとするなら、それは生きていく上でとても大切なことだろう。

しかし、それは「就活」をきっかけにしてやるものではなく、就活とは関係なしに常にやるべきことだ。「就活」がないと自己分析をしなかったのであれば、あなたの人生は相当薄っぺらいものだと思った方がいい。

就活の”自己分析”は自己分析じゃない

生きる上で大切なら、自己分析は就職活動でも大切なんじゃないかとあなたは思うかもしれない。就活を問わず自己分析は大事なのだが、就職活動時に「自己分析」と呼ばれているものは実を言うと自己分析ではなく、自己マーケティングといった方が正しい。

例えば、あなたが広告代理店に就職したいとする。あなたは広告代理店の面接対策のために、たくさん「自己分析」をする。 そうして広告代理店に就職したい理由をたくさん作り出す。これは自己分析ではなく、「広告代理店に入りたい自分のストーリー作り」だ。だから、就職活動時に周りが大切だと説く「自己分析」は自己分析なんかじゃない。ここが分かっていないと、面接に落ち続けた時に自分を否定された気持ちになり、自殺や鬱につながってしまう。

就職活動で大切なのはあくまで”企業が欲しいと思う自分”を演出する「自己マーケティング」だ。就職活動のためだけに自分と向き合い直して、悩んで、神経をすり減らす必要はどこにもない。

自己分析と「原体験」の闇

就活において「自己分析」が必要だと説かれる時、それは企業への「志望動機」と密接に関わっている。「志望動機」を作るために「自己分析」が必要だというロジックだ。現在の就活においては、ここに「原体験」というキーワードが加わる。

「自己分析」で見つけた「自分」と「志望動機」を結びつけ、説得力のあるように見せるために、「自分にはこういう経験ないし体験があり、その時にこういう思いをして…」みたいな原体験を用いるのだ。

原体験が重視されるのには理由がある。適職幻想のくだりで書いたように、リクナビやマイナビの頑張りによって就活はオープンになり、学生は好きな企業と好きな職種に自由に応募できるようになった。もちろん併願可能だし、滑り止めも含めたくさんの企業を受ける。そうなった時に企業側は「内定を出しても来てくれるかわからない」という状況になる。ちゃんと来てくれる学生を採用するため、企業は志望動機を重視するようになる。原体験に裏付けられた強固(?)な志望動機は、企業の目には無難に映る…というわけだ。やがて「志望動機には原体験を用いた方がいい」という就活ノウハウが世に溢れ、原体験と志望動機をうまく結びつけるために学生たちは「自己分析」に一層励むようになる。

これが自己分析と原体験のデタラメである。人材業界や就活をうまく乗り切った先輩の言うことを真に受けて「自己分析」に励むことは就活を良い方向へと導いてくれるとは限らない。

ホームベースの重要性

宮台真司は「自己実現」よりもなによりも、「ホームベース」を作ることが大切だと述べる。ホームベースとは「自分を承認してくれる家族や仲間」のこと、「自分が自分でいられる場所」のこと、つまり自分が還るべき共同体を意味する。

僕は、感情的な安全を保障する場所を「ホームベース」と言っています。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

ホームベースは承認を与え、承認は尊厳につながる。尊厳とはアイデンティティのことだ。アイデンティティがしっかりしていれば、どれだけ就活や仕事で傷つこうと、また前を向いて進むことができる。

アイデンティティというのは、会社をクビになろうとどうなろうと、あれこれ失敗しようが、「自分は自分だ」といい続けられる根拠、つまり「尊厳」のことだ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008

最終目的と選ぶ能力

これまで適職幻想や自己実現幻想など様々な就活にまつわる「歪さ」を見てきたが、これらに惑わされないようにするために最も必要なものは、「最終目的」の設定とその実現のために必要な「優先順位」をつけることだと宮台は言う。『14歳からの社会学』内の言葉だと「選ぶ能力」ということになる。

つまり、自分が最終的にやりたいことはなんなのかを自覚し、そのためには何が必要かを逆算し、全てを目的を達成するための手段だと割り切って優先順位をつけ、こなしていくということだ。宮台はこの「最終目的」の設定は簡単にできるものではなく、むしろ大学生の時間をこれらを手にするために使うべきだと説く。

最終目的に紐づけられた優先順位は簡単に構築できません。これが自分の最終目的&優先順位だと思ったものが何度もガラガラ壊れる経験が必要です。スクラップ&ビルドを通じて鍛え上げられなければならないのです。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

この優先順位が定まらないと、あれもこれも欲しがることになる。就活だと「高収入、ホワイト、世間に名前が知れてて、転職にも有利、若手への裁量権、仕事のやりがいもいる…」結局、どれが重要なの?という状況に陥ってしまうわけだ。

そしてこの「優先順位」を持っていない就活生は多い。だからこそ「就職偏差値」なる指標がメディアによって生み出され、「就職偏差値が高い企業=より多くの欲求が充たせる企業」という認識が出来上がる。人気な企業に入っておけば、入れなかった人よりは「マシな」人生が送れるだろうという考え方なのだろうが、貧しい考え方だと言う他ない。

逆に言えば、自分の中で「これが一番大事なんだ」とキメを作ることさえできれば、何事にも惑わされず自分の正しいと思う道を進むことができる。そのキメが正しいかなんてことはわからないし、何度もキメたことを覆すことになるかもしれない。しかし、その瞬間にキメを作って、腹を括ったという事実があなたを強くしてくれるはずだ。

最後に

日本の就職活動における歪さを様々見てきたが、結局のところその根底に共通するのは「正解がないものに、無理やり正解を与えている」ということだ。人生や就職というよくわからないものに対して、みんな「年収が良いことが正義」だとか「自己分析をすることが正しい」なんて正解を作って押し付けたがる。人生はそんな単純なものじゃない。

人生は非常に複雑だし、人々が何を辛いと思うか、何を不幸と思うかも非常に複雑なもので、「これさえあればOK」というものは絶対にありません。いい就職ができれば全てOK?そんな人生はあるわけがない。だから、僕たちは様々な試行錯誤をしなければなりません。

でも、その試行錯誤をするためにも感情的な安全が必要です。

宮台真司『宮台教授の就活原論』太田出版、2011年

正解なんてないからこそ、試行錯誤をしなければならない。試行錯誤をしなければならないからこそ、ホームベースが必要だ。ホームベースとともに、あなたが昨日輝いていたように今日も輝いて、明日もまた輝けますように。

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