天才・中島らもに僕らはなぜ惹きつけられるのか?
死してなお熱狂的なファンの多い作家、中島らも。天賦の才を持ちながら、酒・ドラッグに溺れた彼が紡ぐ文章は美しく、今なお私たちを魅了する。そんな中島らもの魅力の正体に迫る。
目次
中島らもとは
中島らもは2004年に急逝した作家である。酒とドラッグに溺れ、原稿を書くときも口述筆記に頼るほどに体がボロボロになり、階段から落ちて急逝したという破天荒な人生を歩んだ。彼独自の世界観が反映された作品は、今読んでも色褪せないばかりか彼の死後も重みを増し続けているように思える。一体、彼の何が私たちを惹きつけるのだろうか?
中島らもの退廃的世界観
中島らもの最大の魅力は、彼の「やりたいことしかやらない」という退廃的世界観である。「ギターは好きだけど練習は大嫌い」、「働きたくないから家でずっとラリっている」など、挙げればキリがないほど彼の自由奔放なエピソードは多い。
学歴や仕事、子供など、人は長く生きれば生きるほど守るべきものが増え、保守的になる。保守的になった結果、自分がやりたいことを追い求めて生きるよりも、「しなきゃいけないから」という行動理由が増えていくように思う。中島らもはそうした守るべきものを持っていながら、やりたいことしかやらない人生を選んだ。人にはしがらみが多いけれど、「やりたいことをやる」というのは生物として自然なことのように思う。私たちは自分が選べない生き方をした彼を羨み、惹きつけられるのかもしれない。
世界観と矛盾する真面目な性格
前述の通り、中島らもは「やりたいことしかやらない」生き方を選んだ。しかし、その裏には彼なりの苦悩があったことが読み取れる。より退廃的な方に突き進む生き方を、中島らもは「譲れない価値観」であると同時に「弱さ」として描いている。
作品の多くでは、「思うがままに生きる自分」と「思うがままにしか生きれない自分への嫌悪」の間で揺れる様が生々しく描かれている。やりたいことをやり続けていても、悩み続けるという人間臭さが、悩みの多い私たちを虜にする。
人間讃歌としての作品
中島らものエッセイや私小説には、ヤク中、アル中、フーテン、精神異常者、犯罪者など様々な問題を抱えた人々が登場する。しかし、彼はその人々を「だからなんだというのだ」というスタンスで愛していた。彼の人間への愛に溢れる代表作、『バンド・オブ・ザ・ナイト』より、愛が伝わるフレーズを紹介したい。精神分裂病者であるガド君についての一節である。
いくつもの夜々を共に過ごすうちに、分裂病者の文法、思考回路などがわかるようになってきた。それはもちろん理路整然とした世界ではなかったけれど、でたら目に混然とした世界でもなかった。ガド君なりの苦しみのセオリーというものがそこには横たわっているのだった。
中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』講談社、2000年
作品の節々に表れる人間への愛と優しさが彼の魅力の1つだ。周りを愛していた彼だからこそ、亡くなってからも愛され続けるのであろう。
作品から読み解く中島らもの人生
中島らもの魅力を読んだことのない人に伝えるのは難しい。しかし、確実に言えることは彼の作品は彼の人生を色濃く反映しているということだ。彼の作品の魅力の根源には彼の人生がある。
小説家として有名な中島らもだが、彼の代表作の多くは私小説である。つまり、彼の作品は人生で起こった出来事を「小説」として再構築しているだけであることが多く、読むだけで彼の人生をあらかた把握することができる。
ここでは作品を通して彼が語った人生をダイジェストで紹介する。詳細な事実が知りたい、という人はWikipediaでも読んだ方がいい。
名門・灘中学校に8位で合格
関西の名門私立中高一貫校、灘中学に150人中8位の順位で合格する。この時点で頭の出来は天才のそれなのだが、ジャズ喫茶に入り浸り酒、タバコ、ドラッグに手を染め、ほぼビリの成績で高校を卒業。
中島らものドラッグにまつわるエピソードやドラッグ観はエッセイ『アマニタ・パンセリナ』にて語られている。
フーテンのような浪人生活と大学生活
体裁を保つため大学を受験してみたが、もちろん不合格。浪人生活が始まるも、勉強をするでもなくフーテンのような生活を送っていた。浪人時代のことを本人はエッセイ・『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』にて「たぶん、あまりに憂うつだったので、無意識に記憶を消し去ろうとしている」と記している。
浪人の末、大阪芸術大学に進学したが、卒業時に就職活動はまともにしなかった。働きたくない本人の意思とは裏腹に、学生結婚した奥さんが妊娠したため、親戚の紹介により印刷ブローカーに就職する。
コピーライター養成講座に通う
コピーライター養成講座に通い始める。半年の受講で一等賞を8回受賞し自信をつけた中島らもは「この世界なら食える」と確信し、印刷ブローカーを退社。
ヘルハウス時代
退職後、コピーライター講座に通いながらフーテン生活をする。彼が会社員時代に30年ローンで借りた家には、「中島が暇らしい」と聞きつけた友人知人、彼らが連れてくるフーテンが寄りつくようになり、ドラッグの回ってくる家「ヘルハウス」と呼ばれるようになる。
ヘルハウス時代の生活は『バンド・オブ・ザ・ナイト』という小説にて詳細に描かれている。
コピーライターを経て独立後、酒に溺れる
広告会社にてコピーライターとして働き、『啓蒙かまぼこ新聞』『明るい悩み相談室』などをきっかけに人気が出始め、独立し作家活動を本格化させる。依頼された仕事を片っ端から引き受けていたが、飲酒や薬物による酩酊から着想を得ていたため、連続飲酒を繰り返すようになる。ある日アルコール性肝炎で倒れて入院。
この時の入院から退院までの体験は『今夜、すべてのバーで』に描かれている。
階段から落ちて急逝
2004年7月26日、飲食店の階段から転落し、死亡した。破天荒な人生を送った彼だが、死に方すらも破天荒だ。
最後に
中島らもの作品には、彼を含めいわゆる「普通」の人は出てこない。それは彼の周りに「変な人」が集まっているからかもしれないし、「変な人」だけを切り取って描いているからかもしれない。なんにせよ、彼の作品を読んでいると、色々な生き方があってもいいんだ、という気持ちになる。
自分の生き方に自信が持てなくなった時、迷っている時、中島らもの作品を読んで見てほしい。きっと彼はあなたを肯定し、背中を押してくれるだろう。