個性派クリエイター集団、STUDIO4℃は足元から未来を見る

音楽とアニメを融合させたミュージック・ビデオをいち早く制作し、現在世界で注目されるアニメ監督、渡辺信一郎を早期から起用。音楽とアニメの融合の裏には、常にSTUDIO4℃の存在があった。CGアニメーションをその創世記に導入し、ネット上に架空都市を建設するなど、鋭い先見性を持ち世界中にファンを持つ、謎多きアニメ制作スタジオを開拓する。

目次

illustration by エノシマナオミ

STUDIO4℃とは

STUDIO4℃(スタジオ4度シー)とは、「ハイクオリティな映像、常に先鋭的技術を追求するチャレンジ精神で、世界的評価を集めるアニメーション制作会社」だ。そしてまたの名を、プロデューサーの田中栄子が主宰する精鋭クリエイティブ集団である。当時スタジオジブリのプロデューサーを務めていた田中栄子、『AKIRA』の作画監督を務めていた森本晃司、『となりのトトロ』のキャラデザインを行なっていた佐藤好春の3人によって1986年に設立された。

『鉄コン筋クリート』(2006)や『海獣の子供』(2019)を筆頭に個性がインフレした衝撃度の高い作品を作ってきた。その原点にまで遡ってみよう。

音楽のためのアニメ

STUDIO4℃がアニメ界に頭角を現すきっかけとなるのが、ミュージッククリップの制作である。様々なアニメが生まれアニメブームが一つのピークを迎えようとしていた1990年代後半、彼らは音楽のためにアニメを作るという新しい可能性に着手していた。

STUDIO4℃、そしてそれを率いていた森本晃司の名前を世界に知らしめることとなったのが、日本のテクノ・ミュージシャンKEN ISHIIのアルバムからのシングル「Extra」のアニメーションミュージック・ビデオである。この作品は1996年に公開され、イギリスの“MTV DANCE VIDEO OF THE YEAR”を受賞した。「EXTRA」は当時の海外の若者に日本のテクノだけではなく、日本のアニメーションも紹介する作品であった。

ダンチブロードキャスティングでも度々、AMVやアニメと音楽の関連について述べているが、1996年に発表されたこちらの作品は2019年になっても全く色褪せていない。そして「アニメのために音楽を作る」のではなく「音楽のためにアニメを作る」という発想自体が当時からの彼らの先進性を物語っている。

KEN ISHII「EXTRA」の次に作られたミュージック・クリップがGLAY「サバイバル」のビデオであった。いち早くCGアニメーション制作の可能性に目をつけた彼らがこのビデオにつけたタイトルは「サバイバル2.7Dアニメーションバージョン」。2Dと3Dをつなげる試みは現代においても進行中だが、彼らはそのおもしろさに相当前から気づいていた。

2つのミュージック・クリップに共通していることは、どちらもその背景に膨大な世界観を感じさせることだ。

うちって、ミュージッククリップが得意でしょ。その3分くらいの映像の中には、実はもの凄いドラマが隠されているんだけど、それはクリップの中だけで展開するものとして作ってきた。

WEBアニメスタイル「STUDIO4℃・田中栄子インタビュー」より

AMVは、背景にあるアニメたちが持つ膨大な世界観が我々の想像力を掻き立てることが一つの魅力だが、STUDIO4℃は音楽をベースに既にこの試みを現実化させていた。

宇多田ヒカルがUtada名義で出したアルバム『EXODUS』の全ての曲をアニメーションで表現する「アニメ+音楽」の企画、『Fluximation』(2005)やエイベックスとのコラボレーションで出されたミュージック・クリップ『Amazing Nutz!』(2006)。アニメと音楽の可能性を常に拡張してきたのはSTUDIO4℃であり、彼らの作品がアニメとLo-fi hiphopや、AMVが生まれる地下鉱脈に存在していたことは間違いない。

渡辺信一郎とSTUDIO4℃

アニメと音楽の融合に渡辺信一郎の存在は欠かせない。そしていち早くアニメと音楽の融合に可能性を見出していた渡辺信一郎とSTUDIO4℃が出会うことは必然であった。

Lo-fi hiphopから派生して誕生したAMV作品に多いのが渡辺信一郎と湯浅政明の作品である。そして渡辺信一郎が音楽プロデューサーを、湯浅政明が初めて監督を務めたのが映画『マインド・ゲーム』(2004)である。そして、『マインドゲーム』の制作スタジオこそ、STUDIO4℃だった。

また、映画『マトリックス』の前日譚をアニメーションで描いたSTUDIO4℃制作『アニマトリックス』(2003)の監督の一人に渡辺信一郎を起用。彼が世界で高い評価を受ける足掛かりを作ったのはSTUDIO4℃だと言っても過言ではないだろう。

STUDIO4℃の圧倒的先見性

音楽とアニメの融合、CGアニメーションの導入など世界的な基準に合わせたスタイルで評価を獲得していったSTUDIO4℃。しかし、彼らの先見性はこれだけには収まらない。

ネット上の架空都市「beyond city」

GLAY「サバイバル」のMVを制作していた1999年に、STUDIO4℃は既にネット上に架空都市「beyond city」を作っていた。WEBサイトを都市に見立て、路地裏あり居酒屋あり、映画館あり、占い小屋ありの街を広げており、サイトをクリックしていくことで街を探検出来る仕組みになっている。

beyond city の入り口

また、beyond cityを主催する森本晃司が実際に現実で行っているイベントの模様をサイト内で中継するなど、ネット上の都市と現実とを融合させる試みも既に行なっていたことは驚きだ。2010年代終わりにかけても、ネットと現実を接触させる試みは常に更新され続けてきたが、既に彼らはネット上に現実に存在しかねない都市を構築し、現実のイベントとの接続を行っていた。

片渕須直の起用

2016年に公開されたアニメーション映画『この世界の片隅に』の名前は聞いたことがある人が多いかもしれない。戦時中の一家庭の模様を描き、日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞した今作は国内でも話題になったが、2001年にSTUDIO4℃は既に片渕須直監督を起用し映画『アリーテ姫』を制作している。このスタジオが、10年から20年は先にいってることが理解できるはずだ。

STUDIO4℃の謎

どのようにしてSTUDIO4℃はこうした先見性を手に入れ、日本だけでなく世界で受け入れらる作品を作ってきたのか。STUDIO4℃を創設した、田中栄子と森本晃司のインタビューを組み合わせることで、彼らの哲学が見えてくる。

プロデュース集団

STUDIO4℃を主宰する田中栄子は、STUDIO4℃の存在自体を振り返った際に次のように述べている。

STUDIO4℃って、ピクサーみたいに「STUDIO4℃プロデュース作品」として作品を作っていくクリエイター集団だったんだ

WEBアニメスタイル「STUDIO4℃・田中栄子インタビュー」より

ミュージッククリップしかり、STUDIO4℃の特徴の一つがオムニバスによる短編アニメ集が多いことだ。『鉄コン筋クリート』などの長編アニメーションも有名だが、STUDIO4℃初作品『MEMORIES』や『GENIUS PARTY』など、監督別の短編アニメ集を作り続けてきた。彼らはこのフォーマット上でアニメ作家の個性を最大限に発揮させる。良いものを作るために、それに合わせた個性を最大限に持ってくる。『GENIUS PARTY』のトレイラー映像を見れば、それがより伝わるだろう。

そして、こうしたやり方は、森本が作画監督を務めた映画『AKIRA』の制作方法を想起させる。

一番凄いなと思ったのは、通常は、ひとつのアニメーションスタジオがひとつの作品を作り上げるわけですが、『AKIRA』の場合は、この映画のためにひとつのスタジオ(AKIRAスタジオ)が新たに作られ、そこに様々なトップスタジオの人たちが集まっていたということでした。

Red Bull Music Academy 森本晃司:近所と世界 より

STUDIO4℃は「良い作品を作るために、その都度それに合った特性を持った人を集めるプロデュース集団」と言った方が正しいかもしれない。「集合による作品」ではなく「作品による集合」がその都度行われている。

個性の最大化

STUDIO4℃設立以前に独立していた森本晃司は、独立の理由を次のように語る。

「これしか描けません宣言」をしたんですね。「色々なジャンルを描いていましたが、もう描きたくない。でも、このジャンルなら描きますよ」と宣言したんです。通常、このような宣言はアニメーターとしては最悪と言いますか、オファーが来なくなります。ですが、「描けないものは描けないし、興味がないものには興味がないが、描けるものや興味あるものに関してはこれまで以上の仕事をするよ」という立場を取る

 Red Bull Music Academy 森本晃司:近所と世界 より

通常、あらゆるジャンルのアニメーションを指示通りに描くことが求められるため、個性がない方が重宝されるアニメーター。しかし森本はそれに逆行する形でアニメーターとしての個性を最大化させる道を選んだ。

対してSTUDIO4℃を主宰する田中栄子は、自分の力を抑えて指示通りに描くことよりも、表現したいことを素直に表現する方にこそ需要が発生する、そしてそうした活動が出来る場所こそが必要であると考える。彼女は、次のように語る。

やっぱり商業主義の中で力を抑えているような状況がある。自分を信じてそれを体現してきた人でも、自分の中にあるものを素直に出す事ってなかなか難しい。でも、彼らが本当に何の規制もなく「こんなものを生み出したいんだ」というものが描けた時、それは凄く観たいはず。そして、それを作るフィールドがある事自体がとても大切なんじゃないか、と思って。

WEBアニメスタイル「STUDIO4℃・田中栄子インタビュー」より

こうした考えを持った森本と田中が作ったのがSTUDIO4℃である。STUDIO4℃がクリエイターたちの個性を最大化させる作品を作り続けるのは、背景にこうした哲学があるからであろう。

STUDIO4℃の社名の「4℃」とは水の密度が最も高い温度であることに由来している。STUDIO4℃は常にクリエイターの個性を最大限に引き出し密度を上げることでクオリティの高い作品を世に出してきた。そして世の中に出づらいそうした作品を市場に流通させる手段として、音楽などの他業界との融合を図っていたのだ。

こうしてSTUDIO4℃はアニメ界に数々のスターを生み出してきた。

最初にSTUDIO4℃がスタートした時なんて、(森本晃司は)ただの一アニメーターだもの。私もただの一制作だったけど(笑)。片渕さんも最初に会った時は一監督補佐だったし、湯浅さんも一アニメーターだった。

WEBアニメスタイル「STUDIO4℃・田中栄子インタビュー」より

身の回りの世界を描く

海外から高い評価を受けるSTUDIO4℃。しかし彼らが描いてきたのは海外ウケを狙ったものではなく、あくまで日本人による日本が持っている個性の濃縮化だった。ここにも、クリエイターの持っている個性を最大化させるという彼らの哲学は生きている。

海外“らしい”、ものではなく、日本が持っている個性を、自分たちが知っている表現で描きたいというのはありました

アニメ!アニメ! イベントレポート「STUDIO4°Cは世界に挑戦している オールナイト上映で、田中プロデューサー語る」より

そして、KEN ISHII「EXTRA」制作において森本のは以下のように話す。

実は、僕の憧れの人たちが描いていたのは、彼らのすぐ近くにある風景だったんです。ですが、その風景は僕の周りにはない。この時に、僕がいくら彼らに追いつこうと思っても無理だということに気が付きました。それで、自分の近くのもの、近所を描こうと思ったんです。

Red Bull Music Academy 森本晃司:近所と世界 より

海外で話題になり、賞まで受賞したKEN ISHII「EXTRA」のミュージック・ビデオの舞台は、森本が当時暮らしていた街、吉祥寺である。自分の身の回りにあるものを徹底的に描き出すことで、世界から支持を集める映像を作り上げたというのはおもしろい。STUDIO4℃が世界に多くのファンを持つのは、彼らが徹底して彼ら自身の個性を濃縮して発信しているからだ。

最後に

STUDIO4℃が音楽とアニメを融合させるに至ったのは、個性を凝縮させたアニメーションをどのように世の中に流通させるかという葛藤があった。そして、そうしたアニメーションが世界中から人気なのは、彼らが、世界を意識するのとは逆に、徹底して身の回りの世界から新しいものを発現させていたことに由来する。

最後に、STUDIO4℃が出来るきっかけとなった言葉を紹介して終わる。

森本晃司がぽつりとつぶやいた。

「僕たち、ハーレムが作りたいんです」

「スタジオ4℃はこうして出来た!!」 より

STUDIO4℃が現在ハーレムを実現しているのかは分からないし、まだ道半ばなのかもしれない。しかし、ハーレムがたくさんあるのに越したことはないだろう。

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