テレビは死んだのか。お笑いは終わったのか。

吉本興業の騒動に始まり、脱税、不倫などテレビは今も芸人の話で持ち切りだが、かたやテレビを飛び出し自分たちのフィールドで活躍の場を拡大していく芸人もたくさんいる。テレビとお笑いの関係から、これまでテレビが担ってきた「お笑い」の行方を探る。

目次

illustration by エノシマナオミ

テレビとお笑い

「お笑いについて語ることは野暮だ」お笑いが好きな人間なら誰でもそう思うはずだ。客が笑うか笑わないかの二択だけを見つめ続けて戦う芸人に対して、時にそれについて語ることは失礼にすら値する。「あのネタにはこうした社会背景が関係している」とか、もっと言えば「M-1のぺこぱのツッコミは多様性を尊重しているが、時にリベラルになりかねない」などと、言っている分には楽しいが、そろそろ、そうした分析に辟易している人も増えてきた頃だろう。

社会がどのように動こうと、芸事を極める者たちのスタンスは常に普遍的なものだ。

しかしその一方で、芸の受容のされ方は大きく変化し、お笑いの形が常に変わってきたのもまた事実だ。そしてここ70年に渡って、その中核を担ってきたものがテレビであることに疑いの余地はない。

「お笑い」という言葉で一括りにすると見えにくくなるが、私たちが享受してきた「お笑い」は常に変化している。では果たして何が「お笑い」だったのかを解明するところから、我々にとっての本当のおもしろいを探しにいこうではないか。

テレビスターの誕生

今では、「芸能、お笑い」という言葉を聞けば、真っ先にテレビのことを思い浮かべる人が多い。しかし、元はと言えばこれらは全くの別物であった。少し時代を遡ってみよう。

かつて、上岡龍太郎という芸人がいた。彼は大阪を拠点に活動し、長寿番組『探偵!ナイトスクープ』の初代局長を務めた。1980年代後半から90年にかけてテレビでブレイクし全国区となるが、デビュー40周年を迎えた2000年に「ボクの芸は20世紀で終わり」と述べ芸能界を引退し現在は隠居している。

そんな上岡龍太郎が司会を務め、島田紳助やダウンタウンと共に「テレビ論」をテーマに様々な実験企画を行っていた番組が『EXテレビ』である。そして、彼は同番組内で以下のように述べる。

演芸、芸能、お笑いの世界ということだけに限って言えば、これはもう全くテレビが我々の世界を崩してしまいました。

『EXテレビ』 読売テレビ 1990年

今では、「演芸、芸能、お笑い」はテレビと一緒くたにして語られることが多いが、本来それは別のものであった。そして、そのあり方をテレビが決定的に変えてしまったと彼は述べる。ビートたけし、明石家さんま、タモリから島田紳助、ダウンタウンまで。テレビは様々なスターを生み、それはお笑い界において主に顕著であった。しかし、1990年代までのそれは現在のテレビスターとは認識が違う。上岡龍太郎は次のように話す。

テレビへ出てる以上は芸能人と言えども、一般人としての良識を持たなくてはいけない。こうおっしゃるご婦人がおられるんですがねぇ。
良識なんかあったらこんな仕事してませんからねわたしら。良識がないから芸人やってるんで。

『EXテレビ』 読売テレビ 1990年

彼の話を聞く分に、本来「ろくでなしの芸人がそのスキルを買われてテレビにお邪魔している。」これがもともとのテレビと芸人の関係であったことが伺える。1990年代において既にその関係は崩壊していると彼は述べるが、2000年代に入ると、その関係はさらに大きく変わっていくことになる。

芸人ファミリーの形成

ビートたけしやダウンタウンなど、テレビから生まれたお笑い界のスターたちは仲間を集め、ファミリーとして活動するようになる。彼らは人数と規模を拡大することで出来ることの幅を獲得していき、コントからバラエティまで、ファミリー運営の番組が時代を象徴し、一世を風靡するようになる。

そして、この「ファミリー化」の流れは2000年代に入っても継続する。

90年代後半から2000年代にかけて、『めちゃ×2イケてるッ!』や『はねるのトビラ』、『クイズ!ヘキサゴンII』などが時代を動かす影響力を持った番組として、爆発的人気を誇っていた。そして、これらの番組が、そのファミリー形成初期の番組と異なるのは「テレビによるスターの育成」が行われていたことだ。「ビートたけし」の仲間、や「ダウンタウン」の仲間ではなく、テレビの力を使ってスターを作る動きが活発化し、当時無名だった芸人やタレントが一瞬にしてスターダムを駆け上がって行った。

こうしたファミリーが行う番組のテーマは、卓越した技術、というより常に「挑戦」であった。視聴者は挑戦するファミリーを応援し、ファミリーの成長を見届けてきた。そして彼らの成功や失敗に笑い、時に感動してきた。こうして数多の熱狂を生み出してきたファミリー番組だったが、その熱狂は継続の糸口を見出せないまま、衰退の一路を辿ることになる。

2010年代に入ると、『はねるのトビラ』や『クイズ!ヘキサゴンII』が終了し始める。これに対抗する形で、『ピカルの定理』『ミレニアムズ』『パワープリン』など、新しいファミリーによる番組がスタートすることになるが、新しいファミリーたちも突破口を見つけることが出来ず、番組は終了していった。

テレビの前でそうしたファミリーたちの躍動にかじり付き、その物悲しげなファミリーの解体も目にしてきたのは、あなたも同じであろう。

テレビスターの限界

こうした流れを経て、テレビと芸人の関係が変化することになる。「芸人がテレビに出る」のではなく「テレビが芸人を育てる」という構図が当たり前のものとなった。

2019年、吉本興業の闇営業が大騒動となった。しかしそれ以前にもビートたけしの「フライデー襲撃事件」など芸人が起こす問題はたくさんあり、芸人と反社会的勢力の噂などは想像の範疇にあった。ただ、これらの問題が芸人個人の問題ではなく、まるで社会の問題のように扱われていたことには、それなりの理由がある。あくまで「芸人」がメディアに出演しているだけ、という構図はなくなり、「芸人をテレビに出してスターにする」という流れが一般的になったからだ。

芸による成り上がりではなく、テレビの企画によるテレビスターが誕生したことで、その歯止めは効かなくなった。見ている人が「あなたを育ててきたのは私たち視聴者なんだから、私たちの社会に背くなんて持ってのほかだ!」こうした論調はある種、正当性を持つようになっていた。

本来「芸人が裏で何をしていようが勝手にさせろ」と言う話だが、テレビの時代に適応し、テレビに後ろ盾を持つ芸人にとってはそうもいかない事情がある。「芸能」とテレビの関係が限界まできた末に起きた事件であり、テレビと芸事の完全な剥離を示した出来事であった。闇営業騒動は一つの臨界点だ。

新世代による原点回帰

しかしこうした中で、若い世代が新しい動きを見せている。

昔はモテたいとかお金が欲しいとか別の野心があってお笑いを選んでた人たちが多かったと思うんですよ。でもこの第七世代の人たちは多分お笑い以外でお金稼げたり、そういう能力や選択肢がたくさんあって、その上でお笑いを選んでるから本当にお笑いが好きな人が多い。

『芸人芸人芸人』 佐久間宣之(テレビ東京プロデューサー)インタビューより コスミック出版 2019年 

霜降り明星、EXIT、四千頭身など…挙げたらキリがないが、「お笑い第七世代」と称されることの多い若手芸人たちは、ネタが好きでネタを重視する傾向にあるという。

テレビが作り上げたスターたちの衰退を見た今、そしてYoutubeなど新たにスターになるツールがたくさん誕生した今、お笑い界に参入するのは本当に芸事としての「笑い」「ネタ」が好きな人たちであると言うのは自然な流れである。(かつてテレビでのスターを目指したキングコングなどの芸人たちは、テレビ以外に新しいスターとしてのフィールドを広げている。)

そしてこうした若い世代は、かつてのようなファミリーを形成することなく各々が独立した運営を保っている。各自がyoutubeチャンネル持ち、劇場でネタを続け、自分のセーフスペースを保ちながら、テレビにも出る。彼らはテレビなどの大型メディアとのちょうど良い距離感を保ちながら、かつてのような「芸人がテレビに出ている」という構図を新しい形で再現させている。

「お笑い第七世代」という言葉が一人歩きしていたが、現在「お笑い第七世代」の明確な落とし所は見つかっていないように見える。それは彼らがはっきりとしたファミリーではなく、やんわりとした共同体、引いて言えばただの「世代」であるからだろう。

テレビで行われるお笑いの賞レースの盛り上がりにも同様の流れがある。2015年から再開された『M-1グランプリ』は再び盛り上がりを見せているが、そうした賞レースも、芸人がその「芸」を見せる場として機能している。2019年に『M-1グランプリ』の王者に輝いたミルクボーイは「やっと漫才を自由にやらしてもらえる」と、現時点では拠点を大阪に置いて舞台に立ち続けることを表明した。

その創世記からテレビ界を牽引してきた芸人の技術は、再び「芸事」として本来のあり方に戻っていくのかもしれない。

本当はテレビなんてのは、見たいもんだけが見て、見たくないもんは自由に消すというぐらい気持ちラクに持ちゃええんですけど(中略)


日本国中全て、テレビ漬けになってて、そのテレビを見て、そのことを聞いたらもう明くる日から日本国中がその意見通りになってしまう、ぐらいの気持ちになるんですかなあ。

それが例えば政治とか、もっと重要な日本国民の明日の生き様に関係するようなことならともかく、芸能やとか歌やとかドラマとか、そういう所詮はエンターテインメントの部分にまでねえ、口さし挟んでくるんですもんねえ。ですから、テレビで我々の芸能っちゅうのはやりにくなってくるんですよ。

『EXテレビ』 読売テレビ 1990年

1990年の上岡龍太郎の発言が、30年を経てようやく現実のものとなろうとしている。

しかし、テレビと演芸が乖離することは「テレビがつまらなくなる」ことを意味しない。それによって新たに拡大される可能性が必ずあり、それは芸事においてもまた然りである。テレビは死んでいないし、お笑いが終わることもない。

「スターはいなくなった。スターは生まれない時代」などと言われるが、それはただ「国民的スター」がいなくなったということに過ぎない。それぞれがそれぞれのスターを見つけて彼らに追いつけ追い越せとする試みはこれからも続くことは、間違いない。

いずれにせよ今は、個々人の「おもしろい」を突きつめていく他なさそうだ。

関連記事

ABOUT DANCH BROADCASTING

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です