大人になった今こそ読みたい『14歳からの社会学』

『14歳からの社会学』は2008年に刊行された社会学博士・宮台真司の著作である。サブタイトルは「これからの社会を生きる君に」だ。そのタイトル通り、この本は14歳という”子どもと大人のあいだ”にいる「君」に、<社会>との関わり方を説いている。2008年に14歳だった「君」はもう大人だし、世界も10余年の時を経て大きく変わった。しかし、時が経った今も宮台真司が発するメッセージは色褪せない。大人になった私たちは<社会>と正しく関われているだろうか?『14歳からの社会学』を通して、今一度見つめ直してみる。

目次

Illustration by エノシマナオミ

宮台真司の優しい名著『14歳からの社会学』

『14歳からの社会学』は14歳という”子どもと大人のあいだ”にいる「君」に語りかける口調で書かれている。そして、本書はまだ大人ではない「君」を肯定する優しい文章から始まる。

「なぜ?」「どうして?」と立ち止まってしまう君には、見こみがある。だから、この本ではそんな君のために、学校じゃ学べない「社会の本当」を語ってみたい。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

『14歳からの社会学』では宮台真司なりの<社会>の捉え方や、その<社会>との正しい接し方が語られ、「大人」にとっては耳が痛いような内容も盛りだくさんだ。

しかし、本書は「大人」になってしまった私たちにも、より幸せに生きるヒントを与えてくれているような気がする。その散りばめられたヒントを「自由と尊厳」「仕事と自己実現」「感染動機」「世界を感じる」という4つのキーワードに焦点を当てて追っていこう。

自由と尊厳

宮台真司は本書において、幸せに生きるためには「自由」であることと、「尊厳」を持つことの2つが必要であると述べている。ここでの「自由」と「尊厳」の意味するところはなんだろう。

自由について

自由とは私たちにとって耳慣れた言葉だが、それは多くの場合「選択肢を知っていて、それを選べる」状態を指している。しかし、『14歳からの社会学』はそんな短絡的な「自由」を否定する。

「自由」であるには、「選択肢を知っていて、それを選べる」以外に「選ぶ能力」があることも重要だということだ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

本書において「選ぶ能力」という言葉はかなり抽象的な概念として扱われるが、「選ぶ能力」とは言い換えると「自分の中にしっかりとした判断軸を作り、自信を持って決定する力」を意味していると思う。心理学に「選択のパラドックス」という言葉があるように、全ての選択肢を知っていたとしてもそれらから適切に選びとることは難しい。しかし、数多ある選択肢の中から「自分はコレだ」と決めを作って進むことができれば、選択肢の多さが幸せを脅かすことはなくなるだろう。

そして、自分に自信を持って堂々と決めること、つまり「選ぶ能力」を下支えするのが「尊厳」だと宮台真司は述べる。

尊厳について

「自由」と比べると「尊厳」は耳馴染みのない言葉だ。『14歳からの社会学』において、「尊厳」とは次のように説明されている。

自分がそこにいてもいいんだ、自分は生きていていいんだ、自分は他者に受け入れられる存在だ、と思える。それが「尊厳」ということだ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

「尊厳」は人間が生きていくために最も必要なものだと思う。言い換えると、「尊厳」とは自分で自分自身を認めてあげられることだ。しかし、自分を承認するための「尊厳」は他者からの「承認」によって形作られる。

子どもが大人になるとは、他者たちと交流する中で「試行錯誤」をくり返し、「みんなはこういうことを『承認』するんだ」ということを学んで経験値を高め、「自分はたいてい大丈夫」という「尊厳」を得ていくことだ。昔もいまも、そして将来も、永久に変わらない。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

つまり、人は他人との関わりの中、すなわち<社会>の中でしか生きていけないということになる。しかし、生きるために他者からの承認は必要だが、それは何も「誰からも好かれなければならない」ということを意味しない。<社会>には「日本」や「会社」といった大きなものもあれば、「家庭」や「価値観の合う仲間」といった小さなものもある。自分のありのままを承認してくれる<社会>を1つ大切に持っていればいいだけのことだ。

価値観が多様化し、日本を支えていた「共通前提」が失われつつある今の<社会>との関わり方について宮台はこう述べている。

「みんな仲よし」が通用しなくなったいまの社会。ぼくたちは、付き合いたくない人間にもニコニコしなくちゃいけないのか。そんなことはないはずだよ。自分に必要な人間とだけ仲よくすればいい。自分に必要でない人間とは、「適当につき合えば」いいだけの話だよ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

尊厳とアイデンティティ

「尊厳」というと自信がなくても、「アイデンティティ」と言われたらあるような気がする人も多いかもしれない。しかし、本当にそうだろうか?尊厳とアイデンティティは密接な関係にある。アイデンティティは「自分らしさ」ともいうことができるが、アイデンティティがあるから人は自分自身を承認できるのだ。

『14歳からの社会学』で述べられているアイデンティティとは尊厳と同義だ。そこには「いい学校」や「いい会社」といったような安易な肩書きによるアイデンティティは含まれない。もしあなたのアイデンティティにそれらの安易な「ラベル」が含まれているんだとしたら、それはひょっとすると「アイデンティティ」でも「尊厳」でもなく、単なる虚栄心を意味しているかもしれない。

尊厳やアイデンティティは他者との関わりの中で醸成されるものではあるが、最終的にそれを自分以外の他者や組織に依存してしまうと、そのアイデンティティは極めて脆くなる。そしてそんな脆弱なアイデンティティに対して、宮台真司は警鐘を鳴らしている。

ところが「あなたのアイデンティティ(あなたらしさ)はなんですか?」とたずねると、いまだに多くの日本人が、会社だ、学歴だと答える状態なんだ。

アイデンティティというのは、会社をクビになろうとどうなろうと、あれこれ失敗しようが、「自分は自分だ」といい続けられる根拠、つまり「尊厳」のことだ。君がこれから大人になるときに確実に直面するのが「尊厳」の問題だ。君は自分に「価値がある」と思えるだろうか。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

いい学校、いい会社にいると、知らない人でさえも自分のことをなんとなく「すごい」と認めてくれる。たしかに、いい学校、いい会社に入るためにはたくさんの努力が必要だし、それ自体は誰がなんと言おうと素晴らしいものであることに変わりはない。けれど、そうした「ラベル」が取り払われたときに、自分を最後まで肯定してあげられるのは自分自身だけだ。いついかなる時も自分に「価値がある」と信じるためには、自分の価値観を他者に依存せず、自分に正直に生きていくことが必要な気がする。

仕事と自己実現

大人が生活していくためには「仕事」をしなくてはならず、多くの人は一週間の大半の時間を働いて過ごす。そして、日本ではどのような「仕事」をしているかがその人を説明する重要なファクターとなっているし、就職活動では学生は「自己分析」を行なって「自分の本当にやりたい仕事」を探す。しかし、その状況に対して宮台は「日本人は仕事に対して期待をしすぎている」と述べる。

とかく日本人は、諸外国の人々に比べて、仕事を実際以上にきれいなものに見てしまいがちだ。仕事を「生活に必要なお金をかせぐ手段」と考えず、「自分たちの生きがい」とか「みんなのきずな」みたいにとらえてしまうんだ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

宮台真司は大量生産の時代が終わり、ポストフォード主義の時代となったことで、全ての人に創意工夫が求められるようになった結果生まれた仕事の「やりがい」自体を否定しない。しかし、全員が仕事に「生きがい」を見いだすことを危険視する。

仕事をする人に「生きがい」をあたえるために、仕事があるんじゃない。社会が必要とするからー仕事をしてもらわないと困る人々がいるからー仕事がある。みんなが仕事に「生きがい」を求め始めれば、多くの人は「生きがい」から見放されてしまう。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

全員が仕事に「生きがい」を求める社会では、仕事に「生きがい」を感じられない人は負け組になる。つまり、生きがいを感じられる、「自分に合った仕事」につけなかった人たちということになるわけだ。

日本が仕事に「生きがい」を求める社会だと言ったら、あなたは「そんなことはない」と思うだろうか。実は、就職活動の時点から洗脳は始まっていると言える。リクナビやマイナビの頑張りで就職活動はオープンになり、誰しもが好きな会社、職種に応募できるようになった。企業からも先輩からも「あなたのやりたいことはなんですか」と問われ続け、エントリーシートと面接では自分のやりたいことと仕事を結びつけることを強制される。やりたいことと仕事の不一致は実は就職活動となんら関係ないはずなのだが、仕事に「生きがい」を求める日本では就職活動の際に大きな障害になる。最初は疑問に思っていた人たちも、数ヶ月続く就職活動を経てそういうものなんだと疑問を抱かなくなっていく。「日本が仕事に生きがいを求める社会だ」と言ったときに、あなたが「そんなことはない」と思ったとしたら、あなたもすっかり洗脳されているのかもしれない。自分に合った仕事があるなんていうのは幻想だ。

仕事以外の自己実現

「仕事に生きがいを求める生き方」ばかりもてはやされているのは、はっきりいって間違っている。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

仕事での自己実現はごく一部のラッキーな人だけができるもので、全員が目指すべきものではないと宮台真司は書いている。では、それ以外の人たちは何に生きがいを見いだすべきなのだろう。

答えの一つには「消費での自己実現」がある。しかし、宮台は消費での自己実現も「経済をうまく回すため」に考えだされたキレイゴトだと切り捨てる。

勤勉さが美徳とされた昔でも「仕事が終わったあとは「仲間と安酒でいっぱいやるのが楽しみ」という生き方が、むしろふつうだったんだ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

そんな宮台が提唱するのが自分を承認してくれる「仲間」と楽しい時間を過ごすために生きる、というものだ。この「仲間」のことは、別の著作宮台教授の就活原論では「ホームベース」と表現されている。仕事や消費に「生きがい」が+されたのはその方が都合よく社会が回るようになってからで、それ以外の生き方も元から当たり前に存在していたということに気づかされる。<社会>は複雑になりすぎた。複雑な<社会>の中では、シンプルに、当たり前に生きる方が幸せになれるのかもしれない。

自分に何が必要で、何が必要じゃないかわかってないから、そういうことになるんだ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

宮台真司は仕事に対して「これさえあれば十分」という考え方をしろと述べている。つまり、「自分」という人間の幸せから逆算し、そのために必要な最低限の金なり時間なりを担保できる仕事を探すという意味だ。これは仕事に「生きがい」を求める生き方とは逆の発想だ。自由であるために必要な「選ぶ能力」が身についていないからこそ、仕事や会社が与えてくれることに期待してしまうのだろう。

感染動機

宮台真司は人が何かを学ぼうとする動機には3つあると述べる。1つ目は「競争動機」、つまり他者に勝ちたいという思いから学ぶモチベーション。2つ目は「理解動機」で、新しいものを自分の中に取り入れるインプットや、なにか成果を出すことというアウトプットそれ自体のために学ぶモチベーションのことだ。一般的に思い浮かぶのは上記2つの動機だが、宮台は学びが一番身になる大切な動機として「感染動機」を挙げる。感染動機とは、自分が「すごい」と思う他者から影響を受け、「その人みたいになりたい」と心から思うことだ。

直感で「スゴイ」と思う人がいて、その人のそばに行くと「感染」してしまい、身ぶりや手ぶりやしゃべり方までまねしてしまうーそうやって学んだことが一番身になるとぼくは思う。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

その「感染動機」の感染源になる人は、多くの場合「勉強」や「仕事」といった社会一般のものさしで「良い」とされているもの以外に+αを持っている、と宮台は述べる。そしてその+αのことを、宮台は「たたずまい」と表現する。

書かれた書物をもふくめた「たたずまい」を見ていると、突如「この人は絶対にスゴイ」としびれる瞬間が訪れる。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

ここでの「たたずまい」とは、「人となり」という言葉に置き換えることができるだろう。そして、宮台は「感染」することと同時に、「感染」した後に「卒業」することも大切だと説く。

自分が心の底から「すごい」と思う人の人となりに憧れて、そっくり真似した後にいらないものを削ぎ落とす。そして、また違う人に「感染」する。その「感染」と「卒業」を繰り返していくうちに、今度は自分が誰かの「感染源」になっていく。

ミュージシャンは優れたプレイヤーの演奏を徹底的にコピーして、やがて自分の演奏スタイルを作る。小説家だって同じだ。優れた作家の作品を徹底的に読み、文体模写なんかしながら、いつしか自分の作品世界を作る。学問だって同じ。大切なのは「感染」だ。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

パンクバンド活動も行う小説家、町田康が『影響関係』と題して、似たようなことを書いている。とても素敵な文章なので紹介したい。みんなが「感染」と「卒業」を繰り返して、お互いに感染し合うことのできる社会になることを切に願う。

なぜなら、影響と言ってもそれも響きである以上、響く相手によって鳴る音は変わるのに、と思ったからだ。そして、その最初の音と自分にぶつかって響いた音の違い、差こそが自分らしさなんじゃないのか、とも思うから。

もしそうだとしたら、人の作品を読めば読むほど、つまり人の作品が自分に響けば響くほど、つまり人に影響されればされるほど自分らしさが出る、ということになる。

町田康『影響関係』

世界を感じること

宮台真司は私たちは<社会>の中でも、<世界>の中でも生きていると述べる。<世界>とはこの世に存在するもの全てを指して<世界>であり、<社会>とは人間同士のコミュニケーションによって成り立つ<世界>の一部だ。宮台は<社会>ではなく<世界>を感じ、<世界>の中で生きて、死んでいくことが大切だと主張する。

ぼくの経験では、「生きているっていうのはこんな感じなんだ。<世界>ってこんな感じなんだ」というふうに見慣れたベッドをたたいてみたり、「自分の手ってこんなふうになっているのか」というふうに確かめたりする。そんな感覚に近いんじゃないかと思う。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

人は人との関わり、つまり社会の中でしか生きられないけれど、それ以前にこの大きな<世界>の中で生きている。<社会>があなたを拒絶しても、<世界>はあなたを拒絶しない。だからもっとシンプルに、今この<世界>にいることを噛み締めて生きていくのが一番なのだと思う。

日々同じ<社会>の中で生活していると、<世界>という大きな存在を忘れてしまいがちだ。そんな時は、誰も自分のことを知らない土地へ身を移してみることをオススメする。誰もあなたを知らない場所で<世界>を感じることができると同時に、0から新たな<社会>へ足を踏み入れることで、<社会>というものを捉え直すことができるだろう。

冷たい言い方かもしれないが、あなたが一人いなくなったって、<社会>も会社も学校も回っていく。だから、<社会>をしんどく感じたら、後ろ髪を引かれずに新たな場所へ飛び立ってみてほしい。

最後に

この記事の最初に、『14歳からの社会学』は幸せになるためのヒントを与えてくれていると書いた。しかし、いくらヒントがあったって「幸せ」に生きるのはやっぱり難しい。最後に、『14歳からの社会学』の終わりに書かれている、「幸せ」の難しさを示唆する一節を紹介して終わろうと思う。

人々が社会の中で幸せに暮らすのは大切だ。そのための設計は不可欠で、いい加減な設計は許されない。でもどんなに賢明かつ理想的に設計されていても、誰もが幸せに生きられるはずの社会で、それでも幸せに生きられない存在が、人間なんだ。覚えておこう。

宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年

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