タイラー・ザ・クリエイターが『IGOR』でひとりになることを選んだ意味

2019年に発表され音楽界の話題をさらった、タイラー・ザ・クリエイターのアルバム『IGOR』。このアルバムをタイラーの歴史から紐解くと、彼自身に起きた大きな変化が浮かび上がってくる。そしてこの変化は決してタイラーに限った話ではない。日本のアーティストtofubeats。ベッドルームポップ。我々がその渦中にいる大きな変化の正体に迫る。

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illustration by エノシマナオミ

『IGOR』で起きた革命

タイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator)が2019年に発表したアルバム『IGOR』。このアルバムは全米ビルボードチャートで自身初となる1位を獲得。各メディアが発表する2019年のベストアルバムにも軒並みランクインし、このアルバムがセールスはもちろん、音楽的にも高い評価を受けていることが分かる。音楽界に一つの革命を起こしたとまで言われるアルバムであるが、ここで伝えたいことは、決してそれが音楽的な革命に留まらないということだ。

『IGOR』において、タイラー自身にとっても一つの革命が起きていると言えるのではないだろうか?

前作『Flower Boy』で起きた変化

『Bastard』(2009)〜『Wolf』(2013)にかけて、過去のタイラーの特徴は雑多さにあった。様々な別人格が登場することでユーモアや悲壮感が絵の具のように混ぜ合わせ描かれており、彼が創作する物語がアルバムの軸となっていた。そんな彼に変化が現れたのは、『IGOR』の一つ前に発表されたアルバム『Flower Boy』(2017)だ。

Tyler, The Creator 「Flower Boy」

別人格やタイラーの創作物語で話が進むこれまでの作品とは異なり、『Flower Boy』でのテーマは、一貫して彼自身が抱える「孤独」であった。タイラー自身によって彼の抱える孤独と憂鬱が語られる。曲と曲のつなぎ目を感じさせず流れるように進んでいく構成、アルバム内全体に浸透するあたたかい音とハーモニーがこの一貫性を象徴していた。

『Flower Boy』でタイラーが行ったのは、自身が抱える孤独の発散であった。「さびしくて死にそうなんだけど、どうしたらいい?」という行き場のない一方通行な気持ちの表現こそがこのアルバムの目的であった。それに対して『IGOR』では彼自身に一つの革命が起きている。

タイラーが『IGOR』で出した答え

Tyler, The Creator 「IGOR」

『IGOR』にも『Flower Boy』と同じ様に、一貫したテーマがある。「失恋」だ。

詞の内容は徹底して失恋に関してのものである。曲がスムーズに流れていく構成と、アルバムを通して統一された音の雰囲気が用いられているのも前作と同じ手法だ。しかし『Flower Boy』からの流れを踏襲していながら、そこには前作と明らかに違う点がある。タイラーが一つの解答を出した点だ。 『Bastard』(2009)や『Wolf』(2013)で行ったように自分で作ったおとぎ話を展開するでもなく、『Flower Boy』のように気持ちを発散させるでもない。『IGOR』には一つの明確な答えが存在する。

アルバム前半で彼は意中の相手に対して愛を伝えるが、振り向いてもらうことは出来ない。アルバム中盤、一時は相手に出来た新しい恋人に殺意すら滲ませるが、終盤にかけてタイラーが出した答えは、「自分は身を引く」といういかにも現実的な解答だった。

Thank you for the love, thank you for the joy.
愛をありがとう。喜びをありがとう。
 
But I will never want to fall again.
でももう二度と恋をするつもりはない。

Tyler, The Creator 「GONE GONE/THANK YOU」より拙訳

ここはタイラーが山下達郎の「Fragile」をサンプリングしたことで話題になった箇所であるが、タイラーによる歌詞の書き換えが行われている。原曲の「Girl please don’t ever let me be alone again(再び僕を一人にしないで欲しい)」という部分を、「But I will never want to fall in love again(でももう二度と恋に落ちるつもりはない)」という風に書き換えている。ここにタイラーがひとりでいることを選んだという意思が現れている。

タイラーが『Flower Boy』で孤独の憂鬱を発散した末に、『IGOR』で行き着いたのは「ひとりになること」であった。

『Flower Boy』に比べて『IGOR』は音が固く、カチッとしていることからも、彼がひとりでいることを選んだ、という意思を明らかにしていることは感じられる。『Flower Boy』が柔らかいゼリー、もしくは液体のように我々の体にするっと入ってくるとしたら、『IGOR』は固めたカラーボール(光沢のあるピンク色の)を我々に投げてくる。

流れ出る気持ちの発散から、収束した一つの意思の塊へ。我々はこの流れをどこかで経験したことがあったはずだ。タイラーと同学年にあたる日本のアーティストtofubeatsが『FANTASY CLUB』(2017)から『RUN』にかけて歩んだ道のりだ。

tofubeatsが歩んだ道のり

『FANTASY CLUB』まで

tofubeatsは、日本の歌手でありトラックメイカーだ。パソコンを用いた楽曲制作(DTM)は彼の特徴の一つである。DTMに関するインターネット上のコミュニティを駆使し、ネット上に楽曲をアップロードすることでファンを獲得していった。現在はメジャーレーベル、ワーナーミュージックジャパンから楽曲をリリースしている。tofubeatsを知らないというあなたもメガヒットした彼の楽曲『水星』は聞いたことがあるかもしれない。

そんなtofubeatsがメジャーで2つのアルバム(『First Album』『POSITIVE』)をリリースした後、2017年に発表した3作目となるアルバムが『FANTASY CLUB』である。タイラー・ザ・クリエイター『Flower Boy』と同じ年に発表されたこのアルバムは、タイラーにとっての『Flower Boy』同様、それまでの流れを踏まえた時に明らかに異質なアルバムであった。

『FANTASY CLUB』は、「ポスト・トゥルース」をテーマにアルバムとしての一貫性に重きを置かれて作成された。彼のインタビューからもそれまでの作品との意図の違いが見受けられる。

『POSITIVE』を出して、次は何を出すっていうのがすごいあって、能天気なものを作り続けるのも違うし、わからなさとちゃんと向き合ってみようって。

FNMNL【インタビュー】tofubeats『FANTASY CLUB』 | わからなさの明快

アルバムの看板曲とも言われる「SHOPPINGMALL」を聞けば、彼が当時持っていた雰囲気を感じることが出来るはずだ。

きっと今より良い世の中というのはあるはず、ただそこにはどうやって行ったらよいのか、自分が何をすべきかというのがわからない。”FANTASY CLUB”とまとめるくらいがちょうどいい、と思うようになった。

tofubeats tumbler/reblog FANTASY CLUB 随筆より

この時、彼は自身が「分からない」状態であることを発散していた。それはタイラーが『Flower Boy』で行った孤独な憂鬱の発散と同じ模様を呈している。

ひとりを選んだtofubeats

そして、2018年に4thアルバム『RUN』が発表される。『FANTASY CLUB』で気持ちを発散した末に彼が選んだのもまたタイラー同様、「ひとりになること」であった。(『RUN』のリリースは2018年。『IGOR』よりも早いことは述べておこう)

アルバム『RUN』に収録されている楽曲「RUN」はそんな彼の状態を表していると言えよう。

こんなにたくさんいるのに、たったひとり走る時。

tofubeats 「RUN」

「SHOPPING MALL」と「RUN」の2曲を聴き比べるだけでも、不安定さを持った曲線的な音から、五角形のような角を持った直線形の音になっていることが感じられる。彼は公開インタビューで自身の変化を次のように話す。

『FANTASY CLUB』を作った頃に考えていたのはポスト・トゥルースみたいなことだったんですけど、リリースしてみて、そんな風に自分と同じ悩みを持つ人ってあんまりいないのかもしれないという結論に至ったんです。いたとしても、一緒に良い曲を作れそうな人が思い浮かばなくなちゃって、だったら一人で頑張ろうと。

ミーティア「tofubeats、ソロになる。本が教えてくれた新しい自分」より

タイラー・ザ・クリエイター、1990年生まれ。tofubeats、1991年生まれ。同世代である彼らが、同時期に示した「ひとりになる」というスタンスは、決して無関係なものとは言えないだろう。

そんな中、彼らが「ひとりになる」より少し先に、すでにひとり寝室で音楽を作り始める若者たちがいた。

ベッドルームポップの時代

2017年から2018年にかけて、ベッドルームポップと呼ばれるジャンルが急速に拡大した。ベッドルームポップとは「ベッドルーム」という言葉が示す通り、寝室で(=ひとりで)パソコンを用いて作られることにその名を由来する。特筆すべきは、数多くのベッドルームポップのアーティストたちがタイラー・ザ・クリエイターの影響を受けたと発言していること。そして、ひとりでパソコンを用いて作る音楽(DTM)は、日本ではtofubeatsが2000年代からその創世記を牽引した手法であることだ。

ベッドルームポップは、「lo-fi」や「チル」「DIYサウンド」など様々な形容がされるが、聞いてもらうのが一番早い。

ベッドルームポップ拡大の立役者と言えるclairo(1998年生まれ)。この動画がバイラル・ヒットとなり(2019年12月時点で再生回数は4400万回)、今や”次世代ポップアイコン”とまで呼ばれようになっている。いかにも「ベッドルーム」であることをを象徴する曲とMVだ。

同じく、ベッドルームポップの代表的アーティストと言われるcuco(1998年生まれ)。こちらはAMVバージョンでお届けする。

上記のclairoの動画が2017年8月、cucoの楽曲がYoutube上に公開され始めたのが2018年2月である。タイラー・ザ・クリエイターやtofubeatsが、彼らの辿る物語を通して時代の変化を写し出してきたのは前述の通りだ。そして、そんな彼らがひとりになる動きを見せる少し前、彼らの影響を受けた若者たちは、すでにひとり寝室で音楽を作り始めていた。

どこか同じ雰囲気を持ったこれらの音楽には、「正直似たような曲ばかりで面白くない」という意見もある。もともとベッドルームポップの誕生には、パソコン一つ、iphone一つで音楽が作れるようになったという技術的な背景がある。そしてそれが故に機材の問題でダイナミックな音を表現することが難しい。こうした事情が似た雰囲気の楽曲が生まれる理由につながっている。

しかし伝えたい点は、数多現れる「ひとり寝室で音楽を作る若者たち」が同じ雰囲気を共有していることこそがおもしろいということだ。ベッドルームポップのアーティストたちが醸し出す雰囲気にはどこか一体感すら感じる。そして、その一体感は「場所」や「仲間」にアイデンティティを置くものではない。ベッドルームポップを作るアーティストは、アメリカ東海岸から西海岸、イギリス、アジアまで所在がとにかくバラバラである。「どこか」で盛り上がっているのではなく、同時多発的にいろいろな場所で、ひとりでに生まれていくことで、盛り上がっているのだ。

ひとり寝室にて音楽を作る彼らは、異なる場所にいながら同じ感覚を持っていることを表明しているのではないだろうか?世界中の異なる寝室で音楽を作っている者同士がお互いに共感しあっているところに面白さはないだろうか?

ベッドルーム・ポップ界に起きている現象は、遠く離れた個人たちが音楽によって通じ合い、次に、互いに共通して持つ感覚を自身に還元させて表現することで、この音楽が持つ魅力を更新していくという営みである。

つまり、彼らは音楽をひとりで作るが、向かっている先は決してバラバラではない。どこかを目指して進んでいるような気がする。

ひとりになる人たち

「ひとりになる」ことは決して音楽方面にのみ特化している訳ではない。世は個人主義だ、フリーランスだと個人化する傾向にあるだろう。しかしそれは誰しもがバラバラの方を向いて進んでいくことを意味しない。彷徨い歩いている個人たちは、いずれ通じ合う者たちと出会い始めるだろう。ダンチブロードキャスティング、ここもその場所の一つであるように。

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